高梁市文化交流館(2F 歴史展示物) −高梁市原田北町−
   
 高梁の歴史資料の宝庫です。模型,町全体のミニチュアなども常設展示されています。史跡散策とセットでここに立ち寄られることをお勧めします。こちら,高梁市文化交流館のページもご覧ください

  戦国時代
 備中兵乱とは,この地の戦国大名・三村氏が,毛利氏と争い滅亡した戦いでした。毛利氏は,織田信長に対抗するため,宇喜多氏と同盟を結びました。三村氏は,毛利配下でしたが,宇喜多氏と敵対関係にあったため,毛利を離れ織田と手を結ぶこととなりました。このため,毛利は小早川隆景を大将に8万の軍を送りました。

備中兵乱・三村軍
 

備中兵乱・毛利軍
江戸時代 前期
 現在の備中松山城は,江戸時代,水谷(みずのや)勝隆の時代に築かれました(詳しくは,備中松山城のページ定林寺のページ参照)。ここでは,城のミニチュアを見ることができます。また,勝隆の時代には,藩の外港・玉島港築港工事や高瀬通しと呼ばれる高梁川の運河も作られました。この頃の高梁川沿いに建てられて倉や高瀬舟の様子も模型になっています(高梁川・国道沿いの倉のページ参照)。

備中松山城

御根小屋(現・高梁高校)
 
水谷勝隆像

 川筋に並ぶ倉と高瀬舟
(許諾:高梁市文化交流館)
幕末 
 幕末の備中松山藩主は板倉氏でした(詳しくは八重がき神社のページ参照)。板倉勝静(かつきよ)は,老中首座をつとめました。この勝静を支えた山田方谷像もあります。右下は「方谷三歳の書」です。(山田方谷については,「方谷林のページ」の略歴を参照ください。)
 
板倉勝静像
 
宝剣

山田方谷像

 方谷三歳の書
(許諾:高梁市文化交流館)