備中松山城 −高梁市内山下−
現存する天守閣の中では日本一の高さにあるお城です。鎌倉時代に秋庭氏が大松山に城を築いたのがはじまりです。今の天守閣は,江戸時代に水谷(みずのや)氏によって造られたものです。今回,城見橋からのお城の遠望をCGで復元しました。
 
  CGで復元した備中松山城(参考:高梁文化交流館展示模型)
 
なぜ,臥牛山というの?それはこの山が,川を渡って横から見ると,牛が臥(ふ)せた形に見えるからです。
臥牛山(がぎゅうざん)
 
  
 大手門付近  大手門付近の土塀
   
 
 パノラマ撮影の後,トリミングした大手門の石垣
 
 
 CGによる大手門の復元 (参考:信野友春氏「備中松山城及其城下」,高梁教育委員会による復元図)
残念ながら城の玄関に当たる大手門は,石垣しか残っていません(古写真もなし)。今回,石垣を撮影・編集した後,昭和2年に旧制・高梁中学(現・高梁高校)に赴任した信野友春氏の残したスケッチや高梁市教育委員会による復元図を参考にCGで作成してみました。残った石垣からみても,櫓の中では城内で一番大きかったと考えられます。

本丸
 

天守閣
明治の廃城令の後,荒れはてていた備中松山城ですが,市民の保存運動から昭和15年に天守閣と二重櫓が修理・完成しました。また平成9年には,本丸の五の平櫓,六の平櫓,土塀,門などが復元されています。
 
天守閣の内部から見た二重櫓

三の丸土塀