高梁川  国道沿いの倉 
 かつて,高梁川沿いには,倉が立ち並び,高瀬舟が就航していました。江戸前期の水谷(みずのや)氏の時代には高瀬舟の運河も作られ,備中松山藩の外港である玉島港まで物資が運ばれました。下の写真の川べりに丸く突き出した部分を猿尾(猿の尾っぽの形)といい,船着き場で川の流れを弱める役目を果たしていました。「この川沿い」が,昭和40年代に,国道180号の整備で埋め立てられ,「国道沿い」となり大きく姿を変えました。
江戸時代の様子(高梁文化交流館模型) 方谷橋付近(大正初め,高梁郷土資料館蔵)
現在の川筋と国道180号(写真右の中央が城のある小松山)
復元された高瀬舟 櫂(かい) (高梁郷土資料館蔵)