定林寺  高梁市和田町
 −現存の備中松山城を築いた水谷(みずのや)氏の寺−
曹洞宗の寺院で,常陸(茨城県)の下館藩から成羽藩を経て,この地の藩主となった水谷勝隆が,寛永20年(1643年),下館の定林寺をこの地に移しました。その縁で高梁市と下館(現・筑西市)は,友好都市関係を結んでいます。

本堂

門前の石段

水谷勝隆像  現在は文化交流館に展示

水谷勝隆と勝美の五輪塔
水谷氏は松山城の修築と玉島(松山藩の飛び地)の新田開発や高梁川の船通し等に力を入れました。松山踊りも勝隆の時の慶安元年(1642年)に始まったとされています。墓地には勝隆と3代勝美の五輪塔があります。(2代勝宗は江戸でなくなり,泉岳寺にお墓があります。)
 
本堂にある駕籠と棒,天井絵   天井絵 
 本堂も拝観することができます。朱塗りの駕籠が置いてあります。これは,江戸時代,ご住職が登城など公式な場に出る際に使われたようで,黒塗りの棒(かつぐのに4人必要)があります。花が埋め込まれた天井絵がとてもきれいです。