日本の歴史 |
高梁の歴史 |
<鎌倉時代>
1221年 承久の乱
1274年 元が攻めてくる
1333年 鎌倉幕府ほろびる |
1240年 |
秋庭三郎重信,大松山に城を築く。 |
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1331年 |
高橋宗康,城を小松山まで広げる。 |
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<室町時代>
1338年 足利尊氏,将軍となる
1392年 南北朝統一
1467年 応仁の乱 |
1355年 |
高師秀(こうのもろひで),守護として入る。 |
1362年 |
高師秀を追放し,秋庭重明が入る。 |
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<戦国時代>
1543年 鉄砲が伝わる
1568年 織田信長,京に入る
1571年 信長,比叡山焼き討ち
1573年 室町幕府ほろびる |
1509年 |
上野頼久(よりひさ)が守護代として入る。 |
1533年 |
上野氏をほろぼし,庄氏が入る。 |
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1571年 |
三村家親が庄氏をほろぼし,松山城に入る。 |
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<安土桃山時代>
1575年 長篠の戦い
1582年 本能寺の変
1590年 豊臣秀吉,全国統一
1592年 秀吉,朝鮮出兵
1600年 関が原の戦い |
1575年 |
三村元親は毛利氏からはなれ,織田側につこうとし,毛利氏との間に備中兵乱がおきる。毛利氏に攻められ,元親は自刃(じじん)。 |
1578年 |
尼子(あまこ)の武将・山中鹿之介が阿井の渡しで毛利の家来に討たれる |
1582年 |
毛利氏と戦っていた羽柴(豊臣)秀吉は,信長の死を隠し講和(こうわ)をむすぶ。この時,高梁川を領地の境とする。 |
1600年 |
毛利氏は西軍で敗れ,小堀正次が代官で入城 |
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備中兵乱の毛利軍(模型) |
<江戸時代>
1603年 徳川家康,幕府を開く
1615年 豊臣氏ほろぶ
1635年 武家諸法度が完成
1637年 島原の乱
1639年 鎖国の完成
1649年 慶安のお触書
1716年〜享保の改革
1787年〜寛政の改革
1837年 大塩平八郎の乱
1853年 ペリー来航
1867年 大政奉還 |
1604年 |
小堀政和(遠州)が後を継(つ)ぐ。この頃から,松山城や頼久寺を修築。 |
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1642年 |
水谷(みずのや)勝隆が5万石で入る。 |
1664年 |
水谷勝宗が継(つ)ぐ。この頃,松山城や御根小屋を大改修する。 |
1693年 |
水谷氏,後継ぎがなく,断絶
浅野家の家臣,大石内蔵助が城をうけ取る |
1695年 |
安藤重博が6万5千石で入る。 |
1711年 |
石川総慶が6万石で入る。 |
1744年 |
石川氏が伊勢亀山に移り,板倉勝澄が亀山より5万石で入る。 |
1746年 |
学問所(後の有終館)ができる。 |
1836年 |
山田方谷が有終館の学頭となる。 |
1862年 |
松山城主・板倉勝静(かつきよ),幕府老中となる |
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水谷時代の備中松山城(想像図)

御根小屋(現・高梁高校) |
<明治時代>
1871年 廃藩置県
1873年 廃城令 |
1871年 |
高梁県となる |
1873年 |
松山城,廃城となる |
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<大正時代> |
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<昭和時代>
1941〜45年 太平洋戦争 |
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天守閣 |
<平成時代> |
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五・六平櫓 |