稲荷神社     山中鹿之介の墓
    稲荷神社 −高梁市落合町近似(ちかのり)−
 −戦国時代以来,城主により保護されたこの地を守る神社−
 
もとは,寛弘元年(1004年)に花山上皇がこの地に巡幸された時に建てられ,その後,戦国時代の三村氏以降,歴代の城主が保護してきました。毎年12月の第一日曜日に霜月大祭が行われ,多くの参拝者でにぎわい,多くの露店が並びます。

正面鳥居

本殿への石段
本殿
     
       山中鹿之介の墓 −高梁市落合町阿部−
 −尼子氏につかえて活躍した武将・山中鹿之介の墓−
 
 山中鹿之介は,尼子氏に仕えた戦国時代の武将です。「我に七難八苦を与え給え」と三日月に祈ったお話は有名です。数々の手柄をたてるも,播州(兵庫県)の上月城が落城した際,毛利方に捉えられ護送される途中,この川の渡しで不意打ちに遭い斬殺されました。鹿之介を弔い,この墓のほか,同じ阿部地区内に胴塚も建てられています。

鹿之介の墓
    
阿井の渡し(鹿之助終焉の地)